マカバイ記 二 書簡 4

アンティオコス・エピファネスのもとでの迫害(4 1―10 8)

オニアとシモンの争い

1 さて財宝と祖国をざん訴した例のシモンは、今度はオニアの悪口を言い、「ヘリオドロスを襲い、諸悪の元になったのは彼だ」と言って、

2 この都の功労者、同胞の保護者、律法の熱愛者を、強引に謀反人呼ばわりした。

3 人々の間に敵意が広がり、ついにはシモンの腹心の一人が、暗殺に訴えようとした。

4 オニアはこのままでは戦いになると恐れ、またメネステウスの息子でコイレ・シリア、およびフェニキアの総督アポロニオスが、シモンのこの悪事に加担していることも察知し、

5 王のもとに出かけて行った。同胞市民を告発するためではなく、市民全体の、公私両面にわたる益を考えてのことである。

6 彼は、王の手を煩わせる以外には、平和裡に事態を収拾することも、シモンにその愚行を思いとどまらすことも不可能だと思ったからである。

大祭司ヤソン、ギリシア文化を導入する

7 セレウコスが他界し、エピファネスと呼ばれるアンティオコスが王位を継承したとき、オニアの弟ヤソンは大祭司職を卑劣なやり方で手に入れた。

8 彼は王に謁見のおり、銀三百六十タラントンと、そのほか別の収入源から八十タラントンを約束した。

9 その上、大祭司の職務のほかに、もし王が、錬成場を設立し、そこに若者を集め、エルサレムで住民をアンティオキア市民として登録する権限をも彼に与えてくれるなら、更に、百五十タラントンを渡すと約束した。

10 王の後ろ盾で大祭司の地位を得た彼は、直ちに同胞の生活をギリシア風に変えさせた。

11 ヤソンは、王がエウポレモスの父ヨハネを通してユダヤ人に与えていた数々の恩典を取り消し、律法に沿った生活様式を破壊し、律法に背く風習を新たに取り入れた。このエウポレモスとは、ローマ人との友好と同盟関係を図って使節の役をしたことのある人物である。

12 ヤソンは図に乗って城塞の下に錬成場を建設し、頑健な青年たちには、一斉につばの広いギリシア帽をかぶらせた。

13 こうしてギリシア化と異国の風習の蔓延は、不敬虔で、大祭司の資格のないヤソンの、常軌を逸した悪行によって、その極みに達した。

14 その結果、祭司たちももはや祭壇での務めに心を向けなくなり、神殿を疎んじ、いけにえを無視し、円盤が投げられて競技の開始が告げられると、格闘競技場で行われる律法に背く儀式にはせ参じる始末であった。

15 彼らは、父祖伝来の名誉をないがしろにした反面、ギリシア人の栄光には、最大限の評価を与えた。

16 こうしたことが原因となって、ひどい苦難が彼らを見舞うことになったのである。彼らがその生活様式にあこがれを抱き、万事において仲間に入りたいと願っていた人々がまさに、彼らの敵、彼らに対する迫害者となったのである。

17 神が定めた律法を冒涜して、ただで済むわけがない。それは間もなく明らかになるであろう。

18 ティルスでは、王の臨席の下に、五年ごとに行われる競技会があったので、

19 この汚れた男ヤソンは、エルサレム住民の中から、アンティオキア市民の資格を持っている人々を観客として送り込んだ。その際、ヘラクレスに献げるためのいけにえの費用として、銀三百ドラクメを彼らに持参させた。ところがこれを持参した男たちは、「いけにえに用いるのは適当ではない。むしろ他の費用のために取っておこう」と考えたのである。

20 実際、彼らを送った人が、ヘラクレスのためにいけにえ用としたはずのこの銀は、それを持参した人々によってガレー船を仕立てる船賃にあてがわれてしまった。

アンティオコス・エピファネス、エルサレムで歓迎される

21 アンティオコスは、メネステウスの子アポロニオスをフィロメトル王の即位式に参列させるために、エジプトに派遣した。この結果彼は、フィロメトルが彼のとった措置を快く思っていないという情報を得たので、用心のためヤッファを経て、エルサレムにやって来た。

22 彼は松明と歓呼のうちに、ヤソンとエルサレムの町の大歓迎を受け、その後、フェニキアに陣を敷いた。

メネラオス、大祭司となる

23 三年後、ヤソンは、前に触れたシモンの兄弟メネラオスをアンティオコス王のもとに派遣した。金を持参して、差し迫った事態について王の指示を仰ぐためであった。

24 王に会うと、メネラオスは王を褒めちぎり、大物を気取り、ヤソンよりも銀三百タラントンも多く出し、大祭司職を奪い取った。

25 彼は王のさまざまな命を受けて帰って来たが、彼には大祭司に値するものなど一かけらもなく、むしろ彼は残忍な暴君の激情と野蛮な気性だけの男にすぎなかった。

26 こうして、かつて兄を出し抜いたヤソンが、今や他人に出し抜かれ、アンモン人の国に逃亡を余儀なくされたのである。

27 一方、最高権力を握ったメネラオスは、王に約束した金をびた一文も払わずにすましていた。

28 城塞の総指揮官ソストラトスは、金銭に関する事項も任されていたので、その支払いを要求した。このため、二人とも王のもとに召喚された。

29 メネラオスは大祭司の代理として兄弟リシマコスを、一方ソストラトスは、キプロス人の長官クラテスを留守に残した。

オニアの殺害

30 そうこうしているうちに、王は、タルソス市とマロス市を側室のアンティオキスに贈り物として与えたので、両市が暴動を起こすという事件が起きた。

31 そこで王は直ちに鎮圧に向かい、重要な政務を代行させるためアンドロニコスを後に残した。

32 メネラオスは好機到来とみて、神殿に属する黄金製の祭具を幾つか横領し、アンドロニコスに贈った。彼は、ほかにも祭具を自分のものとし、ティルスとその周辺の町々に売り飛ばしていた。

33 オニアはこれをはっきり見届けたうえで、アンティオキアの近くのダフネの聖域に退き、公然と非難した。

34 そこでメネラオスはひそかにアンドロニコスに会って、オニアを手に掛けるよう説得した。そこでアンドロニコスはオニアのもとに行き、欺いて信頼させ、誓いの言葉と共に右手を差し伸べて挨拶をした。そしてためらうオニアを聖域から誘い出し、正義を顧みもせずにすぐさま彼を殺してしまった。

35 このため、ユダヤ人ばかりでなく、他の国々の人までが大勢、残忍な殺害に動揺し、憤慨した。

36 王がキリキア地方から戻ると、市内のユダヤ人たちは、共鳴したギリシア人ともども、理不尽なオニア殺害に憤慨して、王に訴え出た。

37 アンティオコスも心底から悲しみを催し、憐れみに突き動かされ、他界した者の思慮深さと節度ある人格のゆえに涙した。

38 そして彼は激怒した。彼は直ちにアンドロニコスの紫の衣をはぎ取り、下着を切り裂き、全市中を引き回し、オニアを汚したまさにその場所で、この血に汚れた者を殺した。主が当然の刑罰を彼に下されたのである。

リシマコスの殺害

39 市内では、メネラオスの入れ知恵で、リシマコスがさかんに神殿を荒らしていたが、その噂は外部にも広まった。大勢の者たちが結集してリシマコスに抗議したが、多くの黄金の祭具類は、既に外へ運び出された後であった。

40 群衆は決起し、怒りにあふれた。そこでリシマコスは三千人に上る兵士を武装させ、卑劣な手段を使いだした。そのとき、先頭に立ったのは、年はとっていながら、この上なく愚かな、アウラノスという男であった。

41 リシマコスの攻撃を見て、ある者たちは石を、ある者たちは棒切れを、ある者たちは手近の灰をつかんで、リシマコスの部下を目がけて手当りしだいに投げつけた。

42 こうして、群衆は多くの者に深手を負わせ、ある者たちを打ち倒し、全軍を敗走させた。その上この神殿荒らしの張本人を、宝庫の傍らで殺害した。

メネラオス、釈放される

43 こうした一連の事件について、メネラオスは裁かれることになった。

44 王がティルスに下ったとき、長老会議から派遣された三名の者が、王の前に訴えを起こした。

45 今や全く追い詰められたメネラオスは、ドリメネスの子プトレマイオスに十分な金品を約束して、王をこちら側に引き込んでくれ、と依頼した。

46 そこでプトレマイオスは、涼をとらせる振りをして王を柱廊の陰に連れ込み、王の心を翻させた。

47 こうして王は、諸悪の元凶メネラオスを、さまざまな訴えから自由にしてやり、一方ではこれらの不運な告訴人たちには、――たとえスキタイ人であったとしても彼らを無罪として釈放したにちがいないのに――死を宣告した。

48 このようにして、この町と市民と神殿の祭具を守るために訴え出た人々の方が、即刻不当に処刑されたのだ。

49 そのため、ティルスの市民たちさえ、この悪行を憎み、彼らのための葬儀を盛大に挙行した。

50 一方メネラオスは、権力にある者たちの欲望を利用してその職に居座り、ますます悪行を重ねていき、同胞に対しては策謀家となったのである。

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